2015年10月27日火曜日

すっかり秋。

寒いという人もいれば、まだ暖かいという人もいる・・・

お店ではもうマンゴーがほぼ無くなり、モンブランがすごく出て、かぼちゃ餡も後2週間くらいで無くなるかなあ・・・
座席用にブランケットも用意して、あー確かにすっかり秋だ。



焼津店、普段は木曜定休ですが、11月19日のおいべつさん恵比寿講の日は営業いたします。

昨年みたいに何かこの日の特別メニューを出そうか考え中。





夏から秋や秋から冬、この季節の変わり目は結構色々な事があって、流れを感じる事が多いですね。皆さんはどんな時にこの時期の季節の移り変わりを感じますか?

お店では、朝から昼の陽の角度も秋になると低くなるので、入口のサンキャッチャーも


壁にこんな形でよく反射します。



蕎麦が旨い、晴れた空、オリオン座や獅子座の流星群、畑や道端のコスモス、鈴虫などの虫の音、銀杏や梨や栗、衣替え、文化祭や運動会などの行事など、様々な季節の変わり目に変わらずいつも過ぎていくものをなるべく何かを感じるように日々心がけて過ごしています。

最近「あーこれも夏から秋、秋から冬への変わり目に見るな」とちょっとしんみり感じたのは・・・

ちょっと小さくて見にくいですが、電柱に群がる雀の大群です。

これは焼津インター近くのコメダの交差点ですが、ここの電線には夏過ぎから、夜になると大量の雀が集まって、写真は1方ですが4方の電線またそこに入りきれない雀たちが、上から見ると多分井戸の井の字になるかのように交差点の電線上にいっぱいです。

そこの信号に止まると希にふん爆弾が落ちてきます。


いつも「この中で冬を越せるのはどれくらいの数だろう・・・」と思いながら車で通過します。



雀と言ったら青葉公園からすぐの八千代・・・随分行ってないな・・・























2015年10月20日火曜日

可愛い訪問者

先日、焼津東小2年生から授業の一環としての訪問のお願いのお手紙をいただきました。


「よろしくおねがいします」とあの年頃の子供たちに言われたら疎かに出来ないなと思い、静岡店の営業をスタッフに任せてその日は久しぶりに焼津店に私が出ました。



当日、こんな形で2班に分けての来店。

(写真は校長先生・教頭先生に確認していただき許可を得て掲載させていただきました)

後に発表の場があるという事で、みんな真剣に色々と見ながら質問を一杯してくれました。

「種類は何種類くらいありますか?」「季節によってあるものが変わるので常時で言えば15から20種類くらいかな」

「作るのに1番大変な事はなんですか?」「柔らかく作る為に色々工夫するところかな」

「このチョコ生地の色はどうやって作るの?」「ココアパウダー混ぜてるんだよ」「あーだからほんのりチョコの味がするんだー」

「スタッフは何人いるの?」 「静岡と焼津で全部で10人位かな」と答えると、「今ここにいない人たちはどこで何してるの?」なんて可愛い質問なども。そうだよね、そう思うよね。おっちゃんの答え方が悪かった・・・



その中で1番驚いたのは、
「どうしてこの店を始めたのですか?」という質問でした。質問自体にすごくするどいとこ突いてくるなーとまずそのことに率直に驚いたのですが・・・

以前からこのブログにも書いているように
「私が昔からずっと好きで食べてきたこのワッフルの味を、特に君たちのような子供たちにもだけど出来るだけたくさんの人に食べてもらって、好きになってもらって、出来れば私もこのワッフルを作りたいという若い人が出てきて、この味がどんどん次の世代にも継承されていったら良いなーという気持ちから始めたのですよ」
というような説明をしたところ、
「すごい素敵ー」
という声が返ってきて、あー彼らなりにある程度理解してくれたんだと、この店をやってきて本当に良かったととても嬉しくなりましたし、それを素敵なことだと言える小学2年生がいることに感動してしまいました。

小学2年生に対して理解できるかどうかって事を、こんな真面目に懸命に話すのはなんかちょっと恥ずかしいなと思いながら言っていましたが、いやー言って良かったー。


(余談ですが先日、仕入先の営業さんが静岡店に見えて、「いやーこんなワッフルの専門店なんてもう全国的にほとんどありませんよ、この店やオリーブは希少である意味奇跡ですから是非頑張って下さい」と言われました。半分ディスってるのかとも取れる発言ですが、確かに無くなりかけているものを時代に逆行して広めようとしている訳ですからそうかもしれません。でも誰かがやらなければ無くなってしまう・・・。何かにも似ていますね。)

さてこの焼津東小の取り組み、駅前商店街のいろんな店を生徒が訪問して話を伺い、それを持ち帰ってみんなで話し合ってまとめて発表する。生徒の教育の一環としてはもちろんのこと、学校、商店街、そこにいる大人たち、いろんな面で非常に良いと思います。こういったことであれば私自身はいつでも喜んで協力させていただきたいです。
仕方ないことですが惜しむらくは時間が短く限られていた為に、小学2年生では書くのも遅いので必死になって書く事に主に意識が入ってしまう子もいて、もっと意思疎通なども出来たはずだし、もっと子供らしい発見も多くあったかと思います。ちょっとそこが残念に思いましたが、この取り組み自体は継続して欲しいし、上の学年にも早い子であれば進路をこれから考える際の参考に充分になる可能性も理解もあると思うので是非行って欲しいし、大人も積極的に関わって発展させていくべきだと思います。

焼津東小の校長先生はじめ先生方・引率の保護者の方や関係者、生徒さん、この度は有難うございました。ワッフル買わなくてもまたいつでも来てください。お待ちしています。









2015年10月14日水曜日

モンブラン入荷しました

静岡でリクエスト1位のモンブランとうとう入荷しました。静岡・焼津どちらでも出してます。

とりあえず静岡では、マンゴー残りわずかとパンプキン(かぼちゃ餡)、そしてこの度のモンブランが期間限定であります。

栗とかぼちゃ、すっかり秋を感じてしまいます・・・



そして栗と言えば、特に焼津でリクエストの多い(昨年出していたので、ファンの方が多いかと思いますが)甘栗餡も来月頃また入荷出来るかと思います。もう少々お待ちください。





秋、あー蕎麦食べにいきてー・・・

個人的には、千頭の丹味、松崎町の小邨、富士のこばやし、沼津の杉本などが好きです。






2015年10月11日日曜日

雨の日にはよく何かが起きる・・・

焼津店のオープン前準備からほとんど2年間休みなくここまできた為に、今日の昼間に随分久しぶりになってしまった以前よく伺っていた老人ホームにワッフルを持ってある人を訪ねたところ、「美味しいけれど私に会いに来るぐらい暇があるなら仕事頑張りなさい、ほらお客さん来るわよ」と諭され、仕方なく早々に静岡の店に戻ったところ、愛知からわざわざ万博の時のスタッフが焼津店に大勢来てくれていました。お婆ちゃんなんか感じてたのかな・・・まるで預言者だよ。


最近1番のかなりのサプライズ、でした。焼津店の方に最初に行ってなければ。
まあわざわざ愛知から焼津に来て、私が静岡にいると知ってすぐまた静岡の店に来ること自体がビックサプライズですが・・・
プレゼントも頂いちゃって

って事で静岡店に天使が増えました。探してください。



本当に万博の時のスタッフには驚かされてばかりです。

9月7日のブログにも書きましたが、あの頃大して何もしてあげられないディレクターだった自分に懸命に着いて来てくれたスタッフに、10年たった今も私が逆に力をもらっている。その力のおかげもあってこのfuwafuwaffleというお店2件がここに存在しています。



みんな今日食べて美味しいと言ってくれたけど、私を支えてくれているあなた達との出会いが無ければこのワッフルもきっとここにはありませんでした。

本当に有難う。


来年、3件目、4件目、名古屋と仁川(インチョン)に開きましょうか?あと石垣島とか・・・

茜、当時そんなに怒ったっけかなー・・・





2015年10月5日月曜日

もうじきハロウィン(といっても結構あるか) & 拉致問題で1言

もうじきハロウィンという事で、こんなのや
その他にも色々と飾りつけなどをハロウィン仕様にしましたが、いつからですかね?こんなに世の中ハロウィンハロウィンしだしたの・・・・・


迎えのCOOPもハロウィン物がいっぱいありました。しかしそれより気になったのが

これはエンブレム問題ほどでは無いが・・・・

これはエンブレム問題に近い感じが・・・間違えて買った人はさすがにいないのかなあ。


味は・・・これまた結構予想外に似てました。







拉致問題

私がそのことについて始めて知ったのは、中学1年の夏くらいの頃だったか父といった石川県のなぎさドライブウェイで寄った海辺の小料理屋のような所で、あまりの閑散とした感じに「いつもこの浜辺はこんなに人気(ひとけ)ないんですか?」と父が訪ねたところ「海辺を少人数で歩くとさらわれるから、地元の人間は来ないんですよ」というような返事が返ってきたところからでした。


まさかそんな事が・・・と思ってたけど、30年くらい前の当時は韓国と北朝鮮の違いもよくわからんようなアホ学生だったような気がするのであまり気に止めて無かったかと記憶してますが、14,5年前に新潟に住んだ時にマンギョンボン号の入港反対運動を港で見たり、新潟駅前で毎日のように横田夫妻と思われる方達の署名運動を見てその方達の話を初めて聞いた時にはさすがに「あー本当にあるんだ」と驚いたものでした。ずっと静岡にいたら当時まだ大きなニュースになってなかったので多分関心を持たなかった事を、たまたまその時に新潟にいて港や駅での運動を生で自分の目で見てその時に感じた事も多々あり、今尚よりいっそう身近に感じてしまう出来事の1つです。


めぐみさんと私はそんなに年が離れているわけでもないので、あの年齢でさらわれ、今生きていれば今日で51歳・・・ご本人・家族、色々とまた考えてしまいます。

どうか生きていてささやかでも幸せな誕生日を迎えていることをお祈りします。

もちろん横田さんだけでは無いですけどね。