2016年3月25日金曜日

4月の期間限定 ニューサマーオレンジジャムと和栗 & ヨハン・クライフ

3月の限定品が早く切れてしまう可能性もあり、3月末頃から出す予定でいます。

昨年好評でした、「ニューサマーオレンジジャム」(さわやかなマーマレードみたいな感じかな?)に決めました。

さらに、焼津店では桜が散る頃まで「カシスオレンジジャム」無くなり次第「和栗」(骨太なモンブランとでもいうか・・・)、静岡店では今日からすでに「和栗」をお出しします。

お楽しみに。






先日20日、店をお休みしたことでご心配をかけてしまったようで・・・何人かから体調大丈夫ですか?と聞かれました。

万博のスタッフにも、自身の用事のついでにと愛知から様子を見に会いに来てくれたりで、逆に申し訳なかったなと・・・

とりあえず大丈夫です。栗せんべいや栗ボーロ、ラングドシャなどお菓子も食べまくってます。ご心配おかけしました。






ヨハン・クライフ(華麗なボールタッチやフェイントで空飛ぶオランダ人と呼ばれたサッカー選手)

愛知万博の開幕時、アテンダントスタッフなどが全員集まった案内所の朝礼時、私からスタッフへの一言で「オランダのサッカー選手でヨハン・クライフという人がいました」と話したのを覚えています。
現役当時の彼がオランダ・アヤックスやバルセロナなどで中心選手として実践した組織戦術のスタイルを例に出して、攻撃時には元々のポジションも関係ないかのようにディフェンスが最前線に飛び出したり、それにより空いてしまうスペースを守る時もまたポジションに関係なく埋める動きをしながら、それぞれが全体として動くというようなトータルフットボールというものがあり、私たちスタッフもみんな得意不得意ある中で、全体を考えながらフォローしあって一体として動こうというような話をしました(ホワイトボードに戦術の説明まで書きだして)。
みんながまとまって一つの目標に向かうにあたっての例としてスタッフにもなんとなく伝わりやすい例だったんじゃないかなーと自分では自惚れて思っていますが・・・

素晴らしい戦術でしたし、それは今のバルサやハリルが日本代表でやろうとしてる事を見れば彼がプレイで示した素晴らしさの一端が伺えると私は思っています。
大好きでした。ご冥福をお祈りします。

2016年3月19日土曜日

明日 3月20日

先日チラッと書きましたが、明日の静岡店 臨時休業致します。

焼津店は通常営業しておりますのでよろしくお願いします。



2016年3月13日日曜日

ペヨング もう出てた

噂のペヨング、100均に行ったら出てました・・・ 知らなかったらパチもんだと思うわなこりゃ。

大きさは・・・入れ物は変わらないけど、麺の量は90⇒80g
中の物も、ソースはペヨングになってるけどあとはペヤングと書いてあり変わらず。

とにかく食べてみた。

確かにちょっとソースは違うかも?いや少し減った具のせいでそう感じるだけでそんな変わらないかな?といった具合。

それにしてもまるか食品さんは色々冒険しますね。





ペヤングとはもう35年以上のお付き合いで・・・
小学校の時、日曜の朝は私が近所の駄菓子屋にペヤングを2つ買いに行き、お湯を沸かして作り、出来上がりにあわせて父を起こしに行く。「出来たよー」
貧しかったけど、あれはあれで楽しかったな。

まるか食品さん、これからもお世話になります。

2016年3月11日金曜日

あれから5年

あの時、1メートルくらい横揺れしてるんじゃないかと感じる建物の中で「あーこんな幸せなんて、一瞬で無くなるものなんだな」とテレビを見て感じて、今そこにある幸せに対する感じ方が少し変わったのを覚えています。


小学生の時に養母の兄から満州や大東亜戦争についての体験を聞いたり、小学1年の時の担任の先生から戦時中の話を聞いて漠然と関心を持ち続け、それをもって30代になってから結構な時間をかけて様々な方から空襲や空戦の話を聞いて回って、未経験ながら戦争を身近に少し感じられる最後の世代(体験話を聞ける最後の世代)かとその時思いました。
もうそういった記憶も今の20代以下にはこれからなかなか聞くチャンスも持てないでしょうから。

今ですらそう少し思うのに、あと20年もすれば戦争でどんな事が起こるのか下々のことは想像も出来ない人たちの政治の時代が来るのかな。その時どうなるのかな・・・
私たちや上の世代がその体験をどう伝えて来たかが大きくものを言う世の中であってほしいと願いますが。
まあ割と近い時に起きないとも限りませんが・・・

地震も同じですよね。阪神も東北も経験した私たち世代やその下の世代がこれから先どう伝えて行くのか、近いうちに起きないとも限らない中で役割は小さくないですよね。しかもほぼ確実に起こるのですから。


今の自分には、コープで石巻湾沖で育てた牡蠣を買って食べるくらいしか出来ませんが・・・
これからも何かしら出来ることを考えていきたいと思います。




2016年3月9日水曜日

広島中3自殺で思いだす事

広島県府中町立府中緑ケ丘中3年の男子生徒(当時15歳)が誤った万引き記録に基づく進路指導を受けた後に自殺した問題

”別生徒の万引き行為を学校が男子生徒の行為と誤って資料に記録し、この資料に基づく非行行為を理由に「志望校への推薦は認められない」と男子生徒に伝えていたこと”
しかも廊下での立ち話で・・・・



この生徒の場合は自身は非行行為と言われることをしていないのかもしれませんが、私の過去と合わせて思うのは・・・

私自身は、小学校中学校時代に何度も上で言うような非行行為などで正直警察にもお世話になった事もあります。しかし、その頃お世話になった先生のおかげで高校にも大学にも行けたし、以後警察にお世話になるようなことは起こしていないし、しないと誓った事で今に繋がっているので、広島の学生がどうだったのかはよくわかりませんが、私はそういった面でも出会いに恵まれていたのだろうとも思います。
私の場合は、中学時に問題を起こしたとき、中学校の担任と校長先生が直に話を聞いてくれて(まあ職務の1つではありますが)、なぜ事をおこしたのか、自分がどういう人間かをまず把握しようと努力してくれました。
もちろん内申書には響くので、高校も公立には行けないかもなと思っていたのですが、高校に行ったら学校も部活も途中で辞めないことを条件に志望校への受験を許してもらい、おかげで合格も出来ました。
後から先生に聞いた話で、担任と学年主任と校長が高校側にみんなの願書を提出に出向いた時に、私の受験について特にお願いをしたと聞いて、そうさせてしまう生徒であった事を本当に今でも申し訳なく思うし、今なお感謝しています。
卒業時にも校長先生から万年筆と1筆言葉をいただいたりして、こりゃ高校生活問題起こせないなとさすがにその時は強く思いました。

まあそのおかげで高校入学以降ですさまじいイジメにあった時、何度か抗おうかそれとも辞めようかとも思ったけどどうしても抗うことも無く辞めれなかったというおまけもありますが・・・
そして高3の3者面談では「学校ではクソがつくほど真面目です。校外は知りませんが」と嫌味を込めて言われたりもしました・・・


今回、どういう生徒か本当に把握して確認してその担任が行ったのか、単純なミスなのかとか全くわかりませんが、1クラス47人とかで9クラスか10クラスあった私の中学ほどではないでしょうから、先生が犯したそのいくつかの問題は、規定の指導方法としても一人一人への目の配り方からもどうなのかなーと疑問に思ってしまいます。

今回について、また死ななくてもいい命がとも思うし、かと言ってそれを一先生に全部背負わせるのも酷かとも思いますが、教師ってやっぱ生徒のちょっとした事も気にかけてあげられるかどうかの意識や覚悟が常にない方には向いてない職業なのではと厳しい言い方かもしれませんが思いました。
先生のなにげない一言や一つの行動で、生徒の人生は本当に大きく変わるのも体験上事実なのだから。





静岡店 3月20日 臨時休業します。