2015年5月30日土曜日

マンゴー & 運動会

マンゴー、6月入って来週末から夏季限定で出そうと思います。私には今いちマンゴー自体がピンと来ないのですが妻が美味いと言っているので間違いないかと・・・



今日は近くの小学校の運動会の声や放送が、時より風に乗って聞こえてきました。ちょっと暑いけど、今日くらいがちょうど運動会日よりなのかな。

結構暑いのでいつも全開に近く開けている店の入口をずっと閉め切ってましたが、
安心してください、履いてます。
・・・いや開いてます。時期的にこれから冷房中なんで閉める時増えると思いますが。
※「安心してください、履いてます」がわからない人は「とにかく明るい安村」をYouTubeなどで見ることをお勧めしませんが見ればわかります。(個人的にはタブレット純の算数の方が好きです、こちらはお勧めします)


運動会と言えば、私が小学生の時は入学時1番体が小さく弱かったので、本番当日頑張ってしまって翌日から熱を出して2,3日休むのが幼稚園の時からの恒例でした。園児の遠足やお遊戯会のような時からもうそうでしたが。

とにかくチビで走るのも遅いので、園での運動会ではかけっこなのに平均台などをわざとゆっくり歩いて笑顔で渡る変わり者を演じてました。誰が撮ったか証拠写真も残ってます。

引越しの連続で最後に行き着いた年長時の静岡のともえ保育園(だったと思う)では鼓笛隊のようなものもあって(体が小さいから楽器の大きさが目立つと言われて重いシンバルを持たされた苦い思い出)音楽教育が盛んだったのか、確か当時の園長先生の息子さん(専務と呼ばれていたような記憶が・・・)が、ドラムを持ちこんで叩いていたのを覚えています。なので音楽教育の一つとしてなのかハーモニカやピアニカも結構毎日時間取ってやっていたので、この園に来るまではそんなものに触れたことも無かった私は運動も音楽も出来ないことが悔しくて、体調が良い時は毎朝6時前に起きて30分くらいランニング、そのあと30分以上ハーモニカなどの練習を卒園まで続けてなんとか人並みになったのを今でも良く覚えています。

だから小さい頃は運動会は嫌いでした。親も来ないから弁当一人だし。

もう騎馬戦とか棒倒しとかのいくつかの競技はあまり行われないようですね、高学年になってからあれに燃えて低学年中学年の頃いじめられたやつにこそっと(競技として)仕返しして見返すのは好きだったのにな。残念だなあ・・・まあ以前は力関係が並んでいたり下だったけど、自分の方が上になった気だったり分があると思って得意になっての言動ってのはいじめられっ子の発想で良くないなとは思いますけどね。


2015年5月25日月曜日

MY FAVORITE

来月の限定をマンゴーにしようか検討中。
マンゴー自体あまり好きではない私には美味しいのかどうかの判断が難しい・・・




最近また良い事がいくつかありました。

随分前のブログに書いたMY FAVORITEの一品、発売中止になったお菓子「カルミン」、以前一緒にイベント仕事をしていた仲間が持って来てくれました。

ちゃんと見てくれていてそれで持って来てくれたこと、すごく嬉しかったです。
もう13、4年くらい前のイベントで知り合った仲間でその後なかなか合う事も無かったのに、こうして来てくれる事、本当に有り得ないことだと思い喜びとともにとても感謝してます。
カルミンと一緒にもらった、テレ朝の相棒グッズのラングドシャ・ダージリン、食べた瞬間にダージリンが口の中一杯に香る感じでこれもすごい美味かったです。


その数日前には一昨年まで私のところのアルバイトスタッフとして手伝ってくれていた子が山梨から会いに来てくれてこれまた感激しました。
夏の巨峰、楽しみにしています。

そしてこれも数日前、静大グループOBの元アルバイトスタッフ数人が4月からの就職報告に来てくれてそれだけでも嬉しかったのですが、私のブログについての感想ですが・・・と「いつも僕らの為に言ってくれてた事や話してくれた色々な事、僕らの内の何人かには繋がっていると思いますよ」と言ってくれて・・・危うく泣きそうになってしまった。最近聞いた言葉の中で1番嬉しかったかも。
今年のテーマはなんで「繋ぐ」にしたんですかとの彼らの正月の問いに「24時間テレビが今年はそのテーマになりそうだから」と私が言ったら冗談だと思ってあの時はみんなに笑われたけど、本当だったでしょ?



先日たまたま来店した万博のスタッフだった方にも「良く私がスタッフだったの覚えてますね」とか、アルバイトスタッフだった大学生にも「毎年何十人新しいバイト入ってきて良く名前とか覚えてますね」とか言われたけど、上のようなスタッフや出会いがあるからと普段から意識していると意外と忘れないものですよ。
だから逆に生徒を忘れちゃう学校の先生とか理解できん。良い先生とか言われてても、何年後か大して変わってない自分の生徒だった人間に会って気付かない先生には一瞬で冷めるなあ・・・。



さて今週のアメトーーク!はキングダム芸人です。読んでる漫画だし、今一番興味あって調べてる春秋戦国時代なので、楽しみです。核兵器もないのに40万人も殺す時代なんて・・・







2015年5月20日水曜日

カフェオレとカフェラテ

違いわかりますか?オレとラテ
このお店に、抹茶オレと宇治抹茶ふわラテがありますが、「どう違うの?」と時々聞かれます。

面倒なので、「飲んでみての違いは口で説明しずらく、大差ないです。好みになりますが・・・」と答えていますが、オレはフランス語でラテはイタリア語でミルクのことなので、基本的には一緒ということになります。
ただ、これがカフェが前につく場合は違うようなので補足しておきますと、オレの方は普通のコーヒーで、ラテの方のコーヒーはエスプレッソだそうです。なのでコーヒーの濃さや作り方に違いがあり、それに合わせて飲みやすいようにミルクの量も変わってくるようです。
なので簡略すると、カフェも抹茶も、オレがどちらかというとマイルドでラテがコクがある、といった具合になるのかと(ただミルクの量などによってだいぶ変わりますが・・・)

本当に飲んでみると抹茶オレも宇治抹茶ラテも好みだなとしか言いようが無いのですが、個人的には宇治抹茶ラテかなー・・・






この半年特に寒い時なぞ私を一番癒してくれてたのはこちらのスープでした。
ちょっと普通のものとは一味ちがいますよー、なんてったって淡路島産たまねぎ。ap bankで行った時に食った牛丼などに入っていた美味しいあの淡路島の玉ねぎを思い出します。
是非お試しあれ。杏林堂やイオンで200円弱で売ってました。



アップしようと思って撮った写真が結構あるのですが、スロットの調子が悪いようで読み込まなくてどうしたもんかと・・・

2015年5月13日水曜日

ピーナッツ一時終了

一部の方には好評でしたZAKU食感ピーナッツですが、バター入りで常温保存で、これからの季節に保存が難しい為ここで一旦終了し、また涼しくなってきた秋頃にでも再開したいと思います。





さて、随分とこのブログもごぶさたで、これも1部の方にはご心配かけてしまって、本日もいつもの高校生にちょっと遠慮がちに「大丈夫ですか?」と聞かれる始末・・・

なんでしょうね・・・書く気になかなかなれなかったとしか言えないのですが、ブログのGWを頂いたという事でどうでしょう。




この間振り返ると、お店の方は3日に林ソウ院のチャリティー、昨年もオープン前ながら試作品を販売させていただきまして、今年も昨年同様に販売から30分ほどで完売となってしまいました。4時間ほどかけて作ったのですが、買えなかった方申し訳ありません。
更に、10日の木造香舎フェスタについても午前中分がオープン早々に売り切れてしまい、買えなかった方、「売り切れてたのでー」とわざわざお店の方に足を運び直して頂いた方、まことに申し訳ないです。またこういった機会の時はもうちょっと早起きして頑張ろうかと・・・




また、2校ほど文化祭への提供のお話頂きましたが、6月半ばや後半とのこと、また距離的な問題や学校側での保存方法が確保出来ないとお出しできないとお断りさせていただきました。申し訳ない。秋なら気温的に大丈夫だと思うのですが・・・






そして気分を紛らわそうと最近色々とまた本を読んだのですが、久々に自分の中では漫画でヒットしたのがありました。
「おやこっこ」という漫画で上下2巻で出ています。イブニングで連載中からネットでは話題で、単行本出たら読もうと思っていたのですが、あらすじを見ただけで少し複雑でした。

あの主人公のモデルとなったのは私です。

というのは冗談ですが、きっと「あーこれ自分みたい」とそういう感情を持たれた方、世の中には結構一杯いるのでしょうね。私はずっぽりその一人です。

自分と共通点が多い事、同じような状況、気持ち、半端なく感情移入出来ました。
入院中の父を見て感じたこと、父の仕事場を自分の遊び場にするしかなかったこと、児童相談所や児童養護施設を出たり入ったりしたこと、私の父は自分の母親や兄の葬儀にも出なかったし、「とにかく早く大きくなって自分一人でなんでもできるようになれ」といつも言っていたことなど「おんなじだー」と何度心で叫んだことか・・・


良い親子関係だったり普通だと自分で思える親子関係を築けている方には今一理解できない部分が多々あるでしょうし、受け止め方が全然違うでしょう。同じような境遇を経験しなければやはり分かるような気がしても、それはきっと想像の域を出てないという方も多いのだろうと私は想像します。


私も父を反面教師としたり、何気なく見ていた父の日常の行動や後ろ姿で学んだり真似したことも数々あったと思います。知らず知らず私も父から学んだ、引き継いだというかそういったことの多さ、血・遺伝子というよくわからない物に「やっぱりあるんだ」といつも気付かされ、時には打ちのめされ、恨みもしました。


でも、ここまでの幸せな出来事によって、もう充分過ぎるほどいろんなものを与えられたとも感じている事も事実です。


物心つくまでの期間、きっと誰かに支えられ守られて今の自分があることは分かっているのですが、それを幸せなことなんだと感じるのには、親になって自分で子供を育てる立場にならないと本当の意味では強く実感しない事なのだろうなと改めて思います。



今の私は様々な感情が、いついかなる時も湧いてきてしまいます。この漫画の主人公の考志のように、父から自分へ自分から子へと、いつか溢れる感情がここちよくなるのでしょうか・・・それをすごく期待して本を閉じました。


良い漫画だなと思います。





私が物心ついた頃は、施設か親戚の家かどこか知らない家でいつも一人で遊んでいる場面しか思い浮かびません。それこそ「居候」だと言われて子供ながら肩身の狭い思いをしたり、おもちゃもおまえのじゃないと取り上げられて何も遊ぶものも無かったり、ろくに物も食べてないのにうちにあった板チョコを黙って食べただけで死ぬほど怒られた事もありました。栄養失調で病院に運ばれもしました。これだけの事でも口で言うのは簡単だし、今ならただの笑い話ですが、それがどれだけ人に伝わるのかと思うと切ないです。

ようやく父に引き取られて一緒に住むようになった園児時代もまったく子供の面倒を見ないひとだったので、幼稚園児ながら鍵っ子だったし幼稚園保育園は覚えてるだけで4つも変わったから友達もなかなか出来ない、そんな幼稚園児ほっぽらかして更に家にも帰ってこないで飲む打つの毎日だった人だったから、夜の9時でも迎えに来ないなんてザラにあったので保母さんもいつも怒って大変だったと思います。
一人帰ったところで新聞の折り込みチラシの裏に(当時裏が白紙のチラシが多かった)「ラーメンでもとれ」と父の字で書かれたものと500円札が置いてあるだけ。希望も何もあったものじゃなく、4畳半のアパート1室こたつしかない部屋でずっと独りで膝を抱えて暗闇の中で空腹と戦い、これから生きていてもいい事あるのかとずっと思いながらの毎日でした。今の時代なら確実に虐待で通報でしょうね。

夜中に腹が減りすぎて泣いていると、アパートの隣の部屋のおばちゃんがくれた味噌汁は一生忘れないし、幼稚園の同級生のお母さんが見かねて夕飯をごちそうしてくれたりして、その時の料理・部屋・雰囲気、見るもの全てがあまりに豪華に見えて、きっとあれも、あの感覚もずっと忘れられない。

普通その年頃の子どもが豪華な料理が目の前に出てきたら「うわーっ」ってすごく喜ぶだけだと思うが、泣けてた私はどこかませてたのかな・・・


父や親戚、私の小さなころを知る父の古い友人に、私の物ごころつく前やつく頃を聞いても決まって同じセリフです。「おまえは大変だったな、苦労したな」
子供は大変とか苦労ってその頃わからないんです。ただたださみしく辛いだけ。


それでも父が好きでした。


おかげで屈折した人間になったけど、それも父と一緒だから嫌では無い。


私が小学校3年生の時、父に初めて野球のグローブを買ってもらってキャッチボールをしました。その時に初めて私が左利きという事に気付いて、箸や鉛筆の持ち方も私に教えなかったから今まで気付かなかったのかと気付いて反省する父がいました。

床屋に行く金がもったいないと小学生の私の髪を切り、間違って私の耳ごと切る父がいました。その後は、40年経つ今でも私の左耳にしっかり残っていて、何故か姫にも遺伝しました。


親子とはかくも不思議だなと思います。嫌いになった出来事も今では愛おしい。



長くなっちゃった・・・



1度読んでみて下さいな「おやこっこ」

そしていつか私と父の事も漫画にならないかな、だって私が小学校入ってからの方が親子で波乱万丈だったから・・・