2018年4月29日日曜日

5月の期間限定

暑くなってきたので黒蜜わらびもち、もう出しています。

来月の期間限定は「キウイシロップ」です。少し垂れやすさ感は否めませんがとても美味ですよ。クッキー&いちご、もう少々有りそうです。

(3日お休みですが、天気が大丈夫であれば毎年参加している林そう院のチャリティーに出展の為、朝よりそちらで販売しております。また昼前に売り切れとなるかも・・・)

2018年4月24日火曜日

静岡市立千代田小学校のイジメ問題に思う事

私の母校であったイジメ問題で、先日静岡新聞にも3日間くらい連日報道されていました。

私がイジメについて初めてこのブログでも意見を書いたのはもう3年も前になり、その後広島の件でも2年ほど前に書いたり、自分の事を思い出してしまって煩悶してここに載せて無い下書きで終わっているものなども数件あります。

ただ今回は自分の母校という事も有り、また多々思う事も今まで以上にありましたので、少々思う所を書こうかと。

今回の生徒さんは現在5年生ということでしたが、私の場合は引っ越してきた2年生の夏から4年の始めまでの期間にいじめにあいました。
転校による授業の進捗具合の差をからかう事からまず始まり、そこから貧困などがからみ、横断バックに給食の残り物のパンを入れられて、気付かずに持って帰らずにいたらカビてしまい、名前をもじって?青カビとあだ名を付けられてクラスの威張りん坊とその取り巻きに呼ばれたりもしていました。今回の「○○菌呼ばわり」と変わらないですね。

今回それだけでも結構な騒ぎですが、私の時は今であればもっと大きな新聞ざただったのでは?と思う事があります。私の場合4年になっていじめが収まりましたが、そのきっかけは逆に大ごとになった事からでした。今回は当時私に色々あったいじめから、このことだけ書こうかと思います。

当時は100均も無いため、まだ文具店で結構いい値段をした普通のカッターを、2年時からいじめられていた威張りん坊に取られて、貧乏だった私はやっとの思いで買ってもらったそのカッターを取り返そうと金持ち威張りん坊に歯向かいました。するとその取り巻き連中たちに取り囲まれ、次のターゲットに成りたくない他のクラスメートも仕方なくそちら側に着き、15人~20人くらい対1人の構図に。
結局威張りんと坊と1部の取り巻きに殴られ蹴られ、耐えてなお「返せ」と訴えて取り巻きの1人を殴り返した私は取り押さえられ暴行は余計にエスカレートし度が過ぎていきました。
騒動終わって帰宅後の夜に痛くて悔しくて眠れない私を不審に思ったのか父に翌日病院に行くよう促されて、翌朝病院に連れて行かれると、学校内で受けた怪我であれば学校に言えば病院代も出るのでは?これは結構な怪我なのでというような趣旨だったかと思いますが病院側からの提案(だったと記憶している)によって全治2~4週間の裂傷・打撲等(ですんで良かったと当時私は思ったが・・・)の怪我との診断で学校に病院と父からの報告が入って事態が動き出し、翌日湿布だらけで包帯を腕や体に巻かれた状態で私が登校すると、そのまま校長室だったかどこかで様態を聞かれ、その後教室に戻ると2次被害に今度は合う羽目になりました。
今でもはっきり思い出せるほど苦い強い記憶に。
担任は被害者の私本人に教室の前に1人出てくるように言って、あろうことか誰にどのようにやられたかを私がみんなの前で自分で説明せよと命じました。私は泣きたくなる気持ちを我慢しながらも説明をしましたが、名前を出された威張りん坊はそんな酷い事はしてないと認めず、担任は誰か見たものはいないかと聞くも、仕返しが怖い等でみんな関わりたくないので無反応で、「本当にそんな事が有って出来た傷なのか?」とまで言われました。
結局後になって、1部を見ていて勇気持って話してくれた同じクラスの女の子の申し出で、どうなったのかは忘れましたがその後通院のみで特に何も無く1件落着となってしまいましたが、どういうわけか私へのいじめはその時終息していったように記憶しています。

もちろん自殺したわけではないし不登校にもなってないけれど、そうならなければ学校や先生的にはそれほどの問題にはならないのでしょうか?

(ちなみにこの時の私の担任、全国でもスポーツで有名な静岡の某私立学校の創立者一族の方だったと記憶しています。)

今なら、学校や教育委員会の対応次第では結構なニュースではと思いますが・・・
こういうニュースに成らない事が一杯あってそれが長い間たいして問題にならない事が今の対応を生んでるのかなとも思います。

かいつまんで書いてますが、私にとって本当に大きな心の傷で、周りの友達に対しても結構失望しましたし(この経験があったので、高校時代にデブといじめられてるクラスメートをかばった為に、自分ものけ者にあういじめをまた受けましたが、その時の事については私は後悔はありませんでしたが)あの担任の行動によっていよいよ大人も信用できないと世間にも大変失望したものです。

いじめだけでは無いですが被害者は、その時のいじめにまず傷つき、その対応や周りの環境にもまた傷つき、生きていてもずっと引け目を感じたり、何かしら苦しみなかなか立ち直れない人もきっと多いと思います。

私のそれまでの学校や家庭での環境を考えるにいつも、なんの為に生きてるのか、死んでしまおうかとどうしても考えてしまう事が、正常ではないのでは?いやそんなハズが無いなどと当時は思い悩み、何度本当に死のうかと考えた事か。



しかし私が自分自身救われたのは、自分にもし将来が有ったとして、家庭が有り子供が出来たりするのならば、絶対に自分のような境遇にしたくないと、子供の事を出来る限りわかって守ってやりたいと子供ながら考え、そう育った我が子と暮らす自分を見てみたい、そんなはるか彼方のあるかどうかもわからない場所に希望を見出していくしかないと自分を励まして生きてく事が出来た事でしょう。
そういう意味では、まだ小さな子供だった昔の私自身が、今自分の隣にいる息子に生まれるずっと前から救われていたのかなと思い、日々思い出しては感謝しています。



これまでにも書いてきたようなこういった環境で育ったために、人を愛する事も愛される事もずっと苦手な私が、今それでも懸命に愛情を注いでいる息子ももうその頃の私の年齢に差し掛かり、日々伝えたい事や言葉を色々選びながらイジメについても、いじめる側に回らない心構えだったり気付きであったり、いじめを発見した時の対応であったり、自分がいじめにあってしまった時の対処だったりをよくお風呂なんかで話をします。
あの時もっとこうしていたら、出来たら、とか昔を色々思い出して考えて。
あの日の自分と、今の息子の両方を救う事が出来る気がして・・・そんな(息子にしてみたらただの迷惑かもしれませんが)思いでこれからもきっと色々話すのでしょう。

2018年4月18日水曜日

黒蜜わらびもち & アウトデラックスのZIGGY森重樹一

今週末から暑くなってくるそうで・・・

もうじき、昨年も好評だった黒蜜わらびもち入荷します。
お楽しみに。

(写真は私のお勧めの黒蜜抹茶わらびもち)


高校時代、大学1年までコピーしていたZIGGY森重さんがアウトデラックスに出ていて色々と衝撃でした。

結構共通点多いなーってのも感じました。
結構年齢いってからパパになって、自分の親が全く出てくれなかったから自分はと思って子供の行事にバンバン出ておじいちゃんだよなーって思ったり言われたり、「それでもきっと俺の親も俺の事可愛いと思ったはずだと考え、行事に出席したり出来るだけ子供の事を大事に接しよう」と思ってたりとか。
疲れちゃったんだよねーって、酒、タバコ辞めてたりして(自分も若い時は友達と眞露7本とかウイスキー3本空けた時もあったけど今はほとんど飲まなくしてるし)。
カラオケ用に子供の歌覚えたり。
激安の服を買いに自転車で遠出。

今まで以上にグッと身近になった気が・・・そう感じた僕ら世代多かったんじゃないかなー。





最近ピアノを習い始めた姫が、「オー・シャンゼリゼ」を弾いたり歌うたびに12-13年の頃のリベリーを思い出す。リベリーの応援歌だったこの曲、あの時バロンドールでも良かったと思うけどなー・・・と毎回思ってしまう。








2018年4月10日火曜日

デンマーク エグモントホイスコーレン & レスリング パワハラ問題で思う事

デンマークから国際交流と修学旅行で焼津を訪れている学校の生徒が、駅前通り商店街の店舗の看板を制作して交流を深めました。

当店でもイメージに合う看板をと考えて制作してくれてプレゼント頂きました。
デンマーク語?で美味しいワッフルと書いて有るそうです。
昨日の強風ですでに飛んで行ってしまった部分も有りますが、お店に有りますので是非見ていってください。





レスリングのパワハラ問題。
ここまでを見ていて思う事は、パワハラって大人の世界で権力などを圧力にして行うイジメのようなもんで、子供と同じで無くなるわけの無い物へのあくなき挑戦のような気もします。

レンスリング界のこの問題についてはまだ内閣府の調査も出ていないのでまたそのものについて書こうかと思いますが、今回伊調選手にあったような事ってスポーツ界じゃあ良くある話というか、今回の人間関係についてはみんな大人だからまだ良いものの(良いわけありませんが「まだ」という意味で)、選手が学生で監督に当たる顧問やコーチが大人でどうしていいかわからず苦しむ或いは苦しんだ経験をした人は本当に多いのではないでしょうか?私もその一人です。理不尽ながらどうする術も無い、またはわからない。

私と同世代で静岡県中部で卓球をしていた人には男女通じて割と有名な話ですが、私は静岡市立高校時代、顧問の贔屓に寄り団体に「出れない」選手でした。
当時卓球の団体の高校の部では最低5人いれば出場出来ますが、シングル4人とダブルス1組(1人はダブルスとシングルダブっても可)の5点で3点とれば勝ちというスタイルですが、今もそうなのかな・・・・・?

10年ほど前に後輩の練習を見に母校の卓球場に寄って見ると、20年前の当時の学内ランキング戦のランキングを表した木札がまだそのままの状態で飾ってあり改めて確認が出来ましたが、私は当時最後の大会前の最終的な校内ランキングは確かに2位でした。その時点でも校内2位の選手が5人ないし6人の団体レギュラーに入ってないのは誰が見ても可笑しいでしょう。
では対外成績的にはどうか。上級生が引退し、自分達の代になってからの静岡市・中部大会6回のうち、私はベスト8が4回、ダブルス準優勝1回です。これをみても私以外の他のメンバーは毎回全員ベスト4クラスでなければ団体のレギュラーとしての根拠も無く、あきらかに可笑しいですよね?

しかしレギュラーはどの大会も、当時の顧問が強豪校の利点として組み合わせの優遇操作をする事に寄りベスト4に1人入ってたらいいとこで、その優遇操作するメンバーの組み合わせを良くするために私はあおりを食って毎回の第8シード。つまり毎回第1シードとベスト8で当たるわけです。ちなみにその第1シードは中学の同級生で、唯一自分が中部で絶対勝てないのは彼だけだと認めてる相手でした。
客観的な事実として私の対外的な成績は、毎度そこで止められるベスト8でも校内のメンバーと比べて団体の5人にさえ楽勝で入れる成績のはずです。
ライバル高からは永遠の第8シードと揶揄され、他校の顧問から現実的な転校依頼も有りました。なぜ自分が、せめて第5や第6シードに入る事がただの1度も無いのか、なぜ毎回同じ選手と当たるのか、7不思議のような感じでしたが、皆周知の事実でした。
なにせベスト8や16で負けても、校内ランク1位(実際は8位になった事もある)と対外的には嘘をついていつも第4シードに入るような贔屓された選手などがいたので、私が第5、6シードに入って同校対決で勝たれては都合が悪いのでという事をみんな実際は判っているからです。

(中学時代の恩師との約束の為や経済的な問題や越境で転校という道を選べませんでしたが、最後の大会で個人的に転校依頼をくれた中堅校の選手が負けた後「お前がうちに来てくれたら・・・」と目の前で泣き崩れて自分も危うく泣きそうだったあの複雑な心境を私は一生忘れられないでしょう。どんなに自分も転校したかったことか。)

レギュラーは全員中学時に静岡市で優勝・準優勝経験のある高校優待入学組で、一応団体メンバーに入っている中で私だけがその経験の無いいわゆる高校時に伸びた選手でした。
今ならオープンにして結構大きな問題にも出来るのでしょうが、当時は・・・
私は練習でも差別され、校内ではあまり練習をさせてもらえなかったので、みんなが休むテスト期間に一杯練習したり、夜に校外の横内にある卓球場に通って練習をしました。結局それが最後の進路までも響き、レギュラー組には大学進学へ高校指定推薦枠がおりたりもしましたが、私は「自力で行くんだろ?」と顧問に言われ相談機会すらありませんでした。
いつか当時の顧問に文句言ってやろうと思いつつ30年が経ってしまいましたが・・・
当時は部内はライバルでもあるし敵だらけで、部外のわからない人に言っても仕方ないし、どこにも誰にも相談出来なかったものです。

こういった事の訴える場所などもあったらいいなと思うけれど、被害者でもない人がほとんどの中、そんな面倒な事作れるかとほとんどの方が思うのでしょう。
犯罪被害者が顧られてこなかった事と同じで、そういうものも学生でさえも団結して訴えないと事は動いていかないのかな・・・そういう意味でも犯罪被害者の会のあすの会の活動と本村さんはすごかったんだなと思います。


本村さんと言えば・・・
先日、そこまで言って委員会で、本村さんがメディア・インターネットの今の情報社会について「1市民が発言をする、ややもすると少数意見で、それを俺とおまえの考えは違う、違うは間違いだ、だから排除する。そうすると無責任の体系化が進んでしまう。」(抜粋)そういう人が多い、そういう風潮がある、言ったら言ったでなんの責任も持たないで好きな事言いっぱなし、というような事を言ってました。
いたいた俺にもそういう友達。いやもう友達ではないが、彼にもそろそろ気がついてもらいたいなと思う。





2018年4月4日水曜日

栗ヶ岳ハイキング & 田中城下屋敷

子供たちの春休みも終盤。
高草山と同じくらいの高さながら登り易い掛川の栗ヶ岳に連れて行き、ハイキング登山をしてきました。

静岡の人間なら大概知ってるあの「茶」の文字の山です。

茶畑の中を進むので、離れても目が届きやすく安心です。
5才(の娘は割とすいすいと)と8才(の息子はブーたれながら)ですが、問題無く1時間余りで登れました。
登り口、頂上の両方の休憩所でお茶の振る舞いもあり、満開の桜の中、とても気持ち良かったです。


この日はちょっと霞んでいますがそれでも見晴らし良い風景が望めます。御覧の通り駐車場もあるので車でも登れますが・・・良く晴れた日は登る事をお勧めします。狸?にも出会えました、残念ながら写メ取る隙もなく茶畑に隠れてしまいましたが・・・



結構お気に入りの花見スポットに、藤枝の田中城下屋敷が有ります。
徳川家康が鷹狩り後に立ち寄り、鯛のてんぷらを食べて倒れた事で有名?なあの城です。
この本丸櫓から、隣を流れる六間川を見ると




画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然

六間川に掛かる橋の上から

そして今年も丸子川、3人で行ってきました。

今年も綺麗だったー・・・
春休みも終わりかー・・・

もうソフトクリームのおいしい季節です。