2018年4月10日火曜日

デンマーク エグモントホイスコーレン & レスリング パワハラ問題で思う事

デンマークから国際交流と修学旅行で焼津を訪れている学校の生徒が、駅前通り商店街の店舗の看板を制作して交流を深めました。

当店でもイメージに合う看板をと考えて制作してくれてプレゼント頂きました。
デンマーク語?で美味しいワッフルと書いて有るそうです。
昨日の強風ですでに飛んで行ってしまった部分も有りますが、お店に有りますので是非見ていってください。





レスリングのパワハラ問題。
ここまでを見ていて思う事は、パワハラって大人の世界で権力などを圧力にして行うイジメのようなもんで、子供と同じで無くなるわけの無い物へのあくなき挑戦のような気もします。

レンスリング界のこの問題についてはまだ内閣府の調査も出ていないのでまたそのものについて書こうかと思いますが、今回伊調選手にあったような事ってスポーツ界じゃあ良くある話というか、今回の人間関係についてはみんな大人だからまだ良いものの(良いわけありませんが「まだ」という意味で)、選手が学生で監督に当たる顧問やコーチが大人でどうしていいかわからず苦しむ或いは苦しんだ経験をした人は本当に多いのではないでしょうか?私もその一人です。理不尽ながらどうする術も無い、またはわからない。

私と同世代で静岡県中部で卓球をしていた人には男女通じて割と有名な話ですが、私は静岡市立高校時代、顧問の贔屓に寄り団体に「出れない」選手でした。
当時卓球の団体の高校の部では最低5人いれば出場出来ますが、シングル4人とダブルス1組(1人はダブルスとシングルダブっても可)の5点で3点とれば勝ちというスタイルですが、今もそうなのかな・・・・・?

10年ほど前に後輩の練習を見に母校の卓球場に寄って見ると、20年前の当時の学内ランキング戦のランキングを表した木札がまだそのままの状態で飾ってあり改めて確認が出来ましたが、私は当時最後の大会前の最終的な校内ランキングは確かに2位でした。その時点でも校内2位の選手が5人ないし6人の団体レギュラーに入ってないのは誰が見ても可笑しいでしょう。
では対外成績的にはどうか。上級生が引退し、自分達の代になってからの静岡市・中部大会6回のうち、私はベスト8が4回、ダブルス準優勝1回です。これをみても私以外の他のメンバーは毎回全員ベスト4クラスでなければ団体のレギュラーとしての根拠も無く、あきらかに可笑しいですよね?

しかしレギュラーはどの大会も、当時の顧問が強豪校の利点として組み合わせの優遇操作をする事に寄りベスト4に1人入ってたらいいとこで、その優遇操作するメンバーの組み合わせを良くするために私はあおりを食って毎回の第8シード。つまり毎回第1シードとベスト8で当たるわけです。ちなみにその第1シードは中学の同級生で、唯一自分が中部で絶対勝てないのは彼だけだと認めてる相手でした。
客観的な事実として私の対外的な成績は、毎度そこで止められるベスト8でも校内のメンバーと比べて団体の5人にさえ楽勝で入れる成績のはずです。
ライバル高からは永遠の第8シードと揶揄され、他校の顧問から現実的な転校依頼も有りました。なぜ自分が、せめて第5や第6シードに入る事がただの1度も無いのか、なぜ毎回同じ選手と当たるのか、7不思議のような感じでしたが、皆周知の事実でした。
なにせベスト8や16で負けても、校内ランク1位(実際は8位になった事もある)と対外的には嘘をついていつも第4シードに入るような贔屓された選手などがいたので、私が第5、6シードに入って同校対決で勝たれては都合が悪いのでという事をみんな実際は判っているからです。

(中学時代の恩師との約束の為や経済的な問題や越境で転校という道を選べませんでしたが、最後の大会で個人的に転校依頼をくれた中堅校の選手が負けた後「お前がうちに来てくれたら・・・」と目の前で泣き崩れて自分も危うく泣きそうだったあの複雑な心境を私は一生忘れられないでしょう。どんなに自分も転校したかったことか。)

レギュラーは全員中学時に静岡市で優勝・準優勝経験のある高校優待入学組で、一応団体メンバーに入っている中で私だけがその経験の無いいわゆる高校時に伸びた選手でした。
今ならオープンにして結構大きな問題にも出来るのでしょうが、当時は・・・
私は練習でも差別され、校内ではあまり練習をさせてもらえなかったので、みんなが休むテスト期間に一杯練習したり、夜に校外の横内にある卓球場に通って練習をしました。結局それが最後の進路までも響き、レギュラー組には大学進学へ高校指定推薦枠がおりたりもしましたが、私は「自力で行くんだろ?」と顧問に言われ相談機会すらありませんでした。
いつか当時の顧問に文句言ってやろうと思いつつ30年が経ってしまいましたが・・・
当時は部内はライバルでもあるし敵だらけで、部外のわからない人に言っても仕方ないし、どこにも誰にも相談出来なかったものです。

こういった事の訴える場所などもあったらいいなと思うけれど、被害者でもない人がほとんどの中、そんな面倒な事作れるかとほとんどの方が思うのでしょう。
犯罪被害者が顧られてこなかった事と同じで、そういうものも学生でさえも団結して訴えないと事は動いていかないのかな・・・そういう意味でも犯罪被害者の会のあすの会の活動と本村さんはすごかったんだなと思います。


本村さんと言えば・・・
先日、そこまで言って委員会で、本村さんがメディア・インターネットの今の情報社会について「1市民が発言をする、ややもすると少数意見で、それを俺とおまえの考えは違う、違うは間違いだ、だから排除する。そうすると無責任の体系化が進んでしまう。」(抜粋)そういう人が多い、そういう風潮がある、言ったら言ったでなんの責任も持たないで好きな事言いっぱなし、というような事を言ってました。
いたいた俺にもそういう友達。いやもう友達ではないが、彼にもそろそろ気がついてもらいたいなと思う。





0 件のコメント:

コメントを投稿