2018年4月24日火曜日

静岡市立千代田小学校のイジメ問題に思う事

私の母校であったイジメ問題で、先日静岡新聞にも3日間くらい連日報道されていました。

私がイジメについて初めてこのブログでも意見を書いたのはもう3年も前になり、その後広島の件でも2年ほど前に書いたり、自分の事を思い出してしまって煩悶してここに載せて無い下書きで終わっているものなども数件あります。

ただ今回は自分の母校という事も有り、また多々思う事も今まで以上にありましたので、少々思う所を書こうかと。

今回の生徒さんは現在5年生ということでしたが、私の場合は引っ越してきた2年生の夏から4年の始めまでの期間にいじめにあいました。
転校による授業の進捗具合の差をからかう事からまず始まり、そこから貧困などがからみ、横断バックに給食の残り物のパンを入れられて、気付かずに持って帰らずにいたらカビてしまい、名前をもじって?青カビとあだ名を付けられてクラスの威張りん坊とその取り巻きに呼ばれたりもしていました。今回の「○○菌呼ばわり」と変わらないですね。

今回それだけでも結構な騒ぎですが、私の時は今であればもっと大きな新聞ざただったのでは?と思う事があります。私の場合4年になっていじめが収まりましたが、そのきっかけは逆に大ごとになった事からでした。今回は当時私に色々あったいじめから、このことだけ書こうかと思います。

当時は100均も無いため、まだ文具店で結構いい値段をした普通のカッターを、2年時からいじめられていた威張りん坊に取られて、貧乏だった私はやっとの思いで買ってもらったそのカッターを取り返そうと金持ち威張りん坊に歯向かいました。するとその取り巻き連中たちに取り囲まれ、次のターゲットに成りたくない他のクラスメートも仕方なくそちら側に着き、15人~20人くらい対1人の構図に。
結局威張りんと坊と1部の取り巻きに殴られ蹴られ、耐えてなお「返せ」と訴えて取り巻きの1人を殴り返した私は取り押さえられ暴行は余計にエスカレートし度が過ぎていきました。
騒動終わって帰宅後の夜に痛くて悔しくて眠れない私を不審に思ったのか父に翌日病院に行くよう促されて、翌朝病院に連れて行かれると、学校内で受けた怪我であれば学校に言えば病院代も出るのでは?これは結構な怪我なのでというような趣旨だったかと思いますが病院側からの提案(だったと記憶している)によって全治2~4週間の裂傷・打撲等(ですんで良かったと当時私は思ったが・・・)の怪我との診断で学校に病院と父からの報告が入って事態が動き出し、翌日湿布だらけで包帯を腕や体に巻かれた状態で私が登校すると、そのまま校長室だったかどこかで様態を聞かれ、その後教室に戻ると2次被害に今度は合う羽目になりました。
今でもはっきり思い出せるほど苦い強い記憶に。
担任は被害者の私本人に教室の前に1人出てくるように言って、あろうことか誰にどのようにやられたかを私がみんなの前で自分で説明せよと命じました。私は泣きたくなる気持ちを我慢しながらも説明をしましたが、名前を出された威張りん坊はそんな酷い事はしてないと認めず、担任は誰か見たものはいないかと聞くも、仕返しが怖い等でみんな関わりたくないので無反応で、「本当にそんな事が有って出来た傷なのか?」とまで言われました。
結局後になって、1部を見ていて勇気持って話してくれた同じクラスの女の子の申し出で、どうなったのかは忘れましたがその後通院のみで特に何も無く1件落着となってしまいましたが、どういうわけか私へのいじめはその時終息していったように記憶しています。

もちろん自殺したわけではないし不登校にもなってないけれど、そうならなければ学校や先生的にはそれほどの問題にはならないのでしょうか?

(ちなみにこの時の私の担任、全国でもスポーツで有名な静岡の某私立学校の創立者一族の方だったと記憶しています。)

今なら、学校や教育委員会の対応次第では結構なニュースではと思いますが・・・
こういうニュースに成らない事が一杯あってそれが長い間たいして問題にならない事が今の対応を生んでるのかなとも思います。

かいつまんで書いてますが、私にとって本当に大きな心の傷で、周りの友達に対しても結構失望しましたし(この経験があったので、高校時代にデブといじめられてるクラスメートをかばった為に、自分ものけ者にあういじめをまた受けましたが、その時の事については私は後悔はありませんでしたが)あの担任の行動によっていよいよ大人も信用できないと世間にも大変失望したものです。

いじめだけでは無いですが被害者は、その時のいじめにまず傷つき、その対応や周りの環境にもまた傷つき、生きていてもずっと引け目を感じたり、何かしら苦しみなかなか立ち直れない人もきっと多いと思います。

私のそれまでの学校や家庭での環境を考えるにいつも、なんの為に生きてるのか、死んでしまおうかとどうしても考えてしまう事が、正常ではないのでは?いやそんなハズが無いなどと当時は思い悩み、何度本当に死のうかと考えた事か。



しかし私が自分自身救われたのは、自分にもし将来が有ったとして、家庭が有り子供が出来たりするのならば、絶対に自分のような境遇にしたくないと、子供の事を出来る限りわかって守ってやりたいと子供ながら考え、そう育った我が子と暮らす自分を見てみたい、そんなはるか彼方のあるかどうかもわからない場所に希望を見出していくしかないと自分を励まして生きてく事が出来た事でしょう。
そういう意味では、まだ小さな子供だった昔の私自身が、今自分の隣にいる息子に生まれるずっと前から救われていたのかなと思い、日々思い出しては感謝しています。



これまでにも書いてきたようなこういった環境で育ったために、人を愛する事も愛される事もずっと苦手な私が、今それでも懸命に愛情を注いでいる息子ももうその頃の私の年齢に差し掛かり、日々伝えたい事や言葉を色々選びながらイジメについても、いじめる側に回らない心構えだったり気付きであったり、いじめを発見した時の対応であったり、自分がいじめにあってしまった時の対処だったりをよくお風呂なんかで話をします。
あの時もっとこうしていたら、出来たら、とか昔を色々思い出して考えて。
あの日の自分と、今の息子の両方を救う事が出来る気がして・・・そんな(息子にしてみたらただの迷惑かもしれませんが)思いでこれからもきっと色々話すのでしょう。

3 件のコメント:

  1. 大変な思いをされたこと心中察します。ですが一点だけ指摘させてください。当時、物を盗まれて集団暴行を受けた、これは強盗致傷という「実刑で懲役6年以上確定」の重罪です。(未成年は少年法で減刑有)このような事態があったら、警察で被害届を出してください。学校は犯罪の捜査機関でないので学校に申請しても対策が取れません。今はいじめ対策法という法律があるのですが、犯罪捜査の法律とは言えません。息子様の身を守るためにもこの点必ず押さえておいてほしいです。

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  2. コメント有難うございます。当時、学校側はもちろん息子に無関心の私の父が知っていたとしてもそうした行動を取るとは思えませんが、私の子供にそういう事があれば、場合によってはそういう対応を取りたいともちろん考えます。
    当時の私の知識でもそういった事まで考えましたが、悔しかったのは担任が大きな私学創立者の御子息にも関わらず、被害者の心情を察してくれなかった事に大きなショックを受けて思考停止してしまった事です。
    子供には、常に理解してくれる存在が必要だと日々感じています。

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  3. 自分のために!
    子供さんのために!
    これからの人生の為に!
    負けないで頑張って下さい必ず道は開けると信じています❣️

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