2015年11月27日金曜日

焼津イルミネーション

点灯式も終わり


今年はこんな感じです





そして先日の恵比寿講、おかげさまで昨年と同じく行列出来ました。


今年は午前中に頑張っていっぱい生地作ったので昨年ほど待たせることは無かったと思いますが・・・


さて、もう11月も終わってしまうという事で、12月の期間限定は先日チラッとお伝えしたとおり、NEWストロベリー出します。果肉&マスカルポーネチーズ入りです。
確かに濃厚なストロベリー、でもちょっとこんなストロベリーの味は初めてな気もする、そんなやつです。「どんなやつや」と思った方、とりあえず食べてみてください。






世の中相変わらずイジメ&自殺問題が多く、私もそれについてのコメントを書いては消し書いては消しして早3ヶ月ほど。まだまとまらず。

先日の小学生の変死も事故で片付けられるようですが、最後の1線だけ超えてしまったのが事故で、そこに至るまではイジメかもしれないじゃないか、とも思います。周りからはイジメがあったとか悩んでいた等の話は聞かれないからと単なる事故って事にニュースではなってしまうようですが、誰もが気づかないイジメだってあるし、本人が気づかれないように気丈に振舞っている子もいっぱいいるのは当たり前です。それを思うと、こうだからこうでした、とメディアもただ垂れ流すのは、これはどうか?と思うのがよくあります。

先日も、イジメ自殺した生徒の残した文に「部活で、弱い、下手くそと言われた」と書いてあり、それが苦にというような、そこをクローズアップした書き方が静岡新聞でありました。スペースなどの問題でそれしか書けないというのはわかりますが、読んでる人にはイジメの問題点が間違って伝わるのではと思います。
弱いとか下手くそと言われたからってそれだけではイジメでは無いでしょう。そんなもんイジメになるなら世の中どこもイジメだらけで、そのコメントの言い方や状況、その前後の行動などがあってのことだったり、そう言っていた人たちにいじめられたというただの前置きなのかもしれない。イジメられてる人間にいつも言われてた言葉だったからそれが普通より全然つらかったのかもしれない。
上手な表現方法が出来る子だったならまったく違う書き方だったかもしれない。その子の受け止め方の問題でもあって、言われた文句が大きい理由とはちょっと違う。
でもあの書き方だと、読んでる人にはいわれた文句ですごく傷付いたからというような単純な図式に捉えられる。

イジメって一括りに言葉は大きいけど、原因やきっかけは多種多様だから捉え方が難しいですね。



昨今学校でも、何でもないような会話でただの笑いに変わるようなことでも「それってイジメじゃね?」的なイジリで会話がしづらくなるって事もあるのかも・・・とか想像します。
私の学生時代には、「それってイジメじゃね?」的な発言すら周りの顔色伺って出来ない見て見ぬふり生徒ばかりでしたけど。

大人ですら、例えばやれ「それセクハラー」「パワハラ」などそうでもない事でもすぐ何か言われるからと会話に気を使いすぎて、肝心の通常のコミュニケーションが疎かになってしまい、逆に意思疎通に失敗する事もあるのでは。

コミュニケーション能力を上げることがイジメや個人間の諍いを減らすことに繋がるのでは。そういった教育ってのも本来は生活の中で身に着けるものだけど、一人の時間が多い今の世の中には必要なんじゃないかなー・・・



一昨日の満月も昨日の月も星も、空気が澄んでいるせいもあってかとても大きく綺麗に見えました。

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