2015年7月17日金曜日

イジメと自殺について思う事 1

私自身、引っ越しが多かったり貧乏だったり飛びぬけてチビだったりのそんなイジメの話の種がいくらでもあったのも手伝って、イジメには何回もあったし、そのイジメだったりそれ以外の貧しさだったりさみしさだったりの生活の中で、自殺しようと思ったことは何回も有ります。
本当に死んでしまおうと遺書まで書いたりして。当時止めてくれた先生などもいましたが、基本止められようがもうその時には追い詰められて一人の世界なので、きっとその時私にもう少しの覚悟と時間やきっかけがあれば今生きていなかったのだろうと思います。
私の事については後日に書くとして・・・

なので最近もあった岩手の中2の自殺についても、色々と考えてしまいます。

今回報道されている「ノート」のように、いつも報道されている事が正確にその件を映し出しているとは必ずしも思いませんし、ケースバイケースで歪んで伝わる例も色々あるだろう(自分の場合も当事者→当事者と先生・親→クラス→学年と騒動が広がれば広がるほど問題点がすり変わったりずれていったりと感じられたりもしましたし、いじめられた本人が思う気持ちと全く違う想像をしている大人達にまた苦しめられたりもしたので)と考えられますが、それにしてもと毎回思うことはあります。

イジメではなくても人間関係において何か問題あるとすぐ、巻き込まれたくないとか見なかったことにとか、兎角面倒を避け、自分に近い人間の為に仕方なく関係をしたとしても、無責任に指摘したり批判したりだけで思いやりを持てない人間は残念ながらいっぱいいます。
生きてる以上望まなくても少なからずどこかで関わりを持たなければいけない人間関係なのに、出来るだけ自分とは違う所がある人間を避けようとする人が多く、会社関係や近所づきあいもわずらわしいと感じ、友達同士ですら相手の気持ちや立場を理解するまでとことん話し合ってでも解決をと考える人は少なく、意見が違ったり自分の価値観と違うと受け入れ難くなり、すぐに逃げたり避けたりしてしまう。

特に昨今のイジメの件でクローズアップされる教育委員会、学校、教師、上のような人達しかいないのか?と感じてしまう事が多いが、もしかしたら一生懸命戦って頑張っている先生が一杯いての今なのかもしれませんし、きっとそうなのだろうと思いたいですね。

しかし今回の「ノート」、あれで動かない?気付かない?気付いてないふり?なのはどういう事なのか?しかも学校側もノートの内容を把握していたとの報道。(ってことはその時点ですでに事実確認出来るチャンスがあり、対処出来るじゃん。死なんですんだかもじゃん)結構なスパンで色々あったことを確認できているのに対処は結果的に適切とはいえず、結局亡くなってから事実確認の為とお決まりのアンケート。彼の悩み、イジメがあったこと、とあれだけハッキリ訴えていても担任どころか学校も動いてもらえないなら、実際どうやったらイジメは周りに認識されるのか、SOSはどういう風にどこに出したら良いのか・・・

イジメは学校が、先生が、教育委員会がいくら頑張っても無くなりはしない事はみんなわかると思います。でも減らす事は出来るし、第一次対応の現場なのだからその努力をあきらめて下手な対応するのならそれ相応の罰を受けるようにもするべきなのかなと思います。

数々のイジメの報道を見る限り毎度、出来る事なら無い事にしようとする、隠す、あきらかにあったとみられても証拠物が無いと証言だけでは認めない。あったと決定した場合にも出来るだけ事を小さく見せようともする。だいたいまず担任の先生が事実を把握していないと言い、それを校長が報告を受けて無いのでわからないと言い、教育委員会も報告が無いから把握していないと判を押したように責任の転嫁と言いわけは良く聞く。事実を確認する手段はアンケートばかりでしかも事後・・・そんなパターン何回あったことか。亡くなったからアンケートを信じて黒、亡くなる前はアンケートにイジメが書かれてても黒に近い白、それってどうなのでしょう・・・

これらの姿勢全て「こりゃ相当な事しても大丈夫だな」とイジメっこに思わせてしまう判断材料にもなってしまう。

あっても問題が起きないでくれ、無いと信じたい、と当然自分の成績や出世に係るので思ってるのが当たり前の教師・学校に全てまかせてしまってもイジメは減りません。
普通に考えたらイジメは必ず大なり小なりどこにでもあるもので、そう考える人が多いはずです。本当に減らしたいのなら、今学校で行われている一次対応や事後の学校や教育委員会の対応の間違いからなぜ学習しようとしないのか・・・

せめて、学校ではイジメをすることへの恰好悪さや醜さなど、また第3者の場合イジメが有ることを知っていてそこから目をそむけることや傍観者になって行動しないことを恥ずかしいと思うような教育を、私たちの時は無かったですが、今あるのならもっとあるべきだと思います。無いのならするべきではないでしょうか。私たちの時代、なぜかイジメをするやつがえらそうに捉えられたり、怖がってなびく人間の多い事・・・


根本的に、イジメを劇的に減らすには社会全体で毅然と望み、ルールを作っていくしかないんだろうか?と思います。明らかなイジメに重い罰を、報復には更に重い罰を、傍観を許さないルールを。
でもそんな社会ってどうなんだろう・・・








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