2015年5月13日水曜日

ピーナッツ一時終了

一部の方には好評でしたZAKU食感ピーナッツですが、バター入りで常温保存で、これからの季節に保存が難しい為ここで一旦終了し、また涼しくなってきた秋頃にでも再開したいと思います。





さて、随分とこのブログもごぶさたで、これも1部の方にはご心配かけてしまって、本日もいつもの高校生にちょっと遠慮がちに「大丈夫ですか?」と聞かれる始末・・・

なんでしょうね・・・書く気になかなかなれなかったとしか言えないのですが、ブログのGWを頂いたという事でどうでしょう。




この間振り返ると、お店の方は3日に林ソウ院のチャリティー、昨年もオープン前ながら試作品を販売させていただきまして、今年も昨年同様に販売から30分ほどで完売となってしまいました。4時間ほどかけて作ったのですが、買えなかった方申し訳ありません。
更に、10日の木造香舎フェスタについても午前中分がオープン早々に売り切れてしまい、買えなかった方、「売り切れてたのでー」とわざわざお店の方に足を運び直して頂いた方、まことに申し訳ないです。またこういった機会の時はもうちょっと早起きして頑張ろうかと・・・




また、2校ほど文化祭への提供のお話頂きましたが、6月半ばや後半とのこと、また距離的な問題や学校側での保存方法が確保出来ないとお出しできないとお断りさせていただきました。申し訳ない。秋なら気温的に大丈夫だと思うのですが・・・






そして気分を紛らわそうと最近色々とまた本を読んだのですが、久々に自分の中では漫画でヒットしたのがありました。
「おやこっこ」という漫画で上下2巻で出ています。イブニングで連載中からネットでは話題で、単行本出たら読もうと思っていたのですが、あらすじを見ただけで少し複雑でした。

あの主人公のモデルとなったのは私です。

というのは冗談ですが、きっと「あーこれ自分みたい」とそういう感情を持たれた方、世の中には結構一杯いるのでしょうね。私はずっぽりその一人です。

自分と共通点が多い事、同じような状況、気持ち、半端なく感情移入出来ました。
入院中の父を見て感じたこと、父の仕事場を自分の遊び場にするしかなかったこと、児童相談所や児童養護施設を出たり入ったりしたこと、私の父は自分の母親や兄の葬儀にも出なかったし、「とにかく早く大きくなって自分一人でなんでもできるようになれ」といつも言っていたことなど「おんなじだー」と何度心で叫んだことか・・・


良い親子関係だったり普通だと自分で思える親子関係を築けている方には今一理解できない部分が多々あるでしょうし、受け止め方が全然違うでしょう。同じような境遇を経験しなければやはり分かるような気がしても、それはきっと想像の域を出てないという方も多いのだろうと私は想像します。


私も父を反面教師としたり、何気なく見ていた父の日常の行動や後ろ姿で学んだり真似したことも数々あったと思います。知らず知らず私も父から学んだ、引き継いだというかそういったことの多さ、血・遺伝子というよくわからない物に「やっぱりあるんだ」といつも気付かされ、時には打ちのめされ、恨みもしました。


でも、ここまでの幸せな出来事によって、もう充分過ぎるほどいろんなものを与えられたとも感じている事も事実です。


物心つくまでの期間、きっと誰かに支えられ守られて今の自分があることは分かっているのですが、それを幸せなことなんだと感じるのには、親になって自分で子供を育てる立場にならないと本当の意味では強く実感しない事なのだろうなと改めて思います。



今の私は様々な感情が、いついかなる時も湧いてきてしまいます。この漫画の主人公の考志のように、父から自分へ自分から子へと、いつか溢れる感情がここちよくなるのでしょうか・・・それをすごく期待して本を閉じました。


良い漫画だなと思います。





私が物心ついた頃は、施設か親戚の家かどこか知らない家でいつも一人で遊んでいる場面しか思い浮かびません。それこそ「居候」だと言われて子供ながら肩身の狭い思いをしたり、おもちゃもおまえのじゃないと取り上げられて何も遊ぶものも無かったり、ろくに物も食べてないのにうちにあった板チョコを黙って食べただけで死ぬほど怒られた事もありました。栄養失調で病院に運ばれもしました。これだけの事でも口で言うのは簡単だし、今ならただの笑い話ですが、それがどれだけ人に伝わるのかと思うと切ないです。

ようやく父に引き取られて一緒に住むようになった園児時代もまったく子供の面倒を見ないひとだったので、幼稚園児ながら鍵っ子だったし幼稚園保育園は覚えてるだけで4つも変わったから友達もなかなか出来ない、そんな幼稚園児ほっぽらかして更に家にも帰ってこないで飲む打つの毎日だった人だったから、夜の9時でも迎えに来ないなんてザラにあったので保母さんもいつも怒って大変だったと思います。
一人帰ったところで新聞の折り込みチラシの裏に(当時裏が白紙のチラシが多かった)「ラーメンでもとれ」と父の字で書かれたものと500円札が置いてあるだけ。希望も何もあったものじゃなく、4畳半のアパート1室こたつしかない部屋でずっと独りで膝を抱えて暗闇の中で空腹と戦い、これから生きていてもいい事あるのかとずっと思いながらの毎日でした。今の時代なら確実に虐待で通報でしょうね。

夜中に腹が減りすぎて泣いていると、アパートの隣の部屋のおばちゃんがくれた味噌汁は一生忘れないし、幼稚園の同級生のお母さんが見かねて夕飯をごちそうしてくれたりして、その時の料理・部屋・雰囲気、見るもの全てがあまりに豪華に見えて、きっとあれも、あの感覚もずっと忘れられない。

普通その年頃の子どもが豪華な料理が目の前に出てきたら「うわーっ」ってすごく喜ぶだけだと思うが、泣けてた私はどこかませてたのかな・・・


父や親戚、私の小さなころを知る父の古い友人に、私の物ごころつく前やつく頃を聞いても決まって同じセリフです。「おまえは大変だったな、苦労したな」
子供は大変とか苦労ってその頃わからないんです。ただたださみしく辛いだけ。


それでも父が好きでした。


おかげで屈折した人間になったけど、それも父と一緒だから嫌では無い。


私が小学校3年生の時、父に初めて野球のグローブを買ってもらってキャッチボールをしました。その時に初めて私が左利きという事に気付いて、箸や鉛筆の持ち方も私に教えなかったから今まで気付かなかったのかと気付いて反省する父がいました。

床屋に行く金がもったいないと小学生の私の髪を切り、間違って私の耳ごと切る父がいました。その後は、40年経つ今でも私の左耳にしっかり残っていて、何故か姫にも遺伝しました。


親子とはかくも不思議だなと思います。嫌いになった出来事も今では愛おしい。



長くなっちゃった・・・



1度読んでみて下さいな「おやこっこ」

そしていつか私と父の事も漫画にならないかな、だって私が小学校入ってからの方が親子で波乱万丈だったから・・・








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